小さい頃から、絵を描くことがすきだった。
ぬりえって面白い、でもぬりえのモトの線をマネする方がおもしろい。
線で昆虫を描くのがおもしろい。
水彩でふわっと色がにじんで溶けていくのがおもしろい。
自分のあこがれのイメージを線や色で描いてみると気持ちいい。
階段をかけあがるように上達を実感できたデッサン、学ぶっておもしろい。
—そんな幼稚園から高校・大学。
そして今。
表現することが、苦しい。
描くこと、生み出そうとすること、しぶとい膜の向こう側に行くこと。
自己表現の世界にあるはずもない縛りやルールに抑えつけられて怖くて仕方がない。
苦しくて空気がうすく感じて、動悸もして、いよいよまずいと自覚し、
甘く溶けるようなインパクトで拡散を。
一瞬の衝撃や継続性のないシアワセだけをつなぎ合わせた錯覚を蜜に、生き延びる。
周囲が崖のとんがった頂上にいるから、前後左右どこにも踏み出すことができない。
ならば絵と違って三次元のこの世でできることは、飛び上がるか、飛び降りるか。
考えたくもない。
いつも曖昧な世界に憧れて、でもその世界に私の思考はたどり着くことができない。
幼い頃と今。
その間、自分には一体何が起こった?
心だけが空白の数年間と、心にとどまらず記憶も消した2ヶ月間。
今はそれらをとりもどす必要はきっとないから、
日々のインパクトをがぶがぶ食べて見て呉れで彩りをつなぐ。
きっとそれでいい。
だけど、数年後なのか?息をひきとる間際なのか?
今は必要ではないそれらを、自分で呼びもどす瞬間が必ずくるだろう。
何となくそう感じている。
そのとき、私は久しぶりに、
やわらかい草の上に降りることができるのかもしれない。