台風が去り、みずみずしく美しい空と夏の終わりの緑がひろがる。
とても美しい。
美しい光景を前にした時、たいてい感動と幸せのため息が出る。
ネガティブなときにそういった光景を前にすると
癒され、背中をおされて元気へと導いてもらえる、
それが一般的な感じ方なのかもしれない。
でも、自分に限っては時にそうでないときがある。
自分が苦しんでいるとき、悲しんでいるとき、何かに耐えているとき。
そんな時にあまりに美しい光景を目にすると、
なぜかとても苦しくなる。
目をそむけそうになる。
脳の理解よりも先に涙がつぎからつぎへとあふれる。
冷静を保とうとしているのに、
美しい彩りと輝きに掻き乱されて不本意に吸い込まれて胸が苦しくなる。
こんなにも美しい物々を前に、
それと向き合うこの自分自身があまりに小さく弱く情けないということを
ありありと対比して見せつけられるからに違いない。
目の前のものが美しすぎてまぶしすぎて悲しい。
ただ、そう感じてしまうこと自体がネガティブかというと…
ちがうと自分は感じている。
きっと「本当はこう有りたい」という意欲があってこその
苦しい「感じ」だ。
自分がつらく苦しいときに、美しいものを前にして抱いてしまう
より一層の苦しさ。
それは、すばらしいものに正面から向き合うことのできない未熟な自分が
まだまだ発展途上にあり、成長ののりしろがあり、
目標をもっている意欲があることの証。
私独特のポジティブな示しなのだという答えにたどりつく。
頑張ってるね。
大丈夫、時間はたっぷりあるよ。
遅れてごめんね、誕生日おめでとう☆
>Kao
BDメッセージとともに励ましの言葉ありがとう。
いつになっても「模索」状態から踏み出すことができていない私。
だけど自分なりに足をとめずに進もうと思います。