画家にはスランプがあるの?と聞かれることがよくある。
答えるなら、まぁ... Yes.
ただ、私は個人的に「スランプ」という言葉がキライ。
思うように描くことができないなぁと感じている時に「スランプなんですね!大変ね」と言われるとちょっと嫌な気持ちになる。(嫌悪感を抱く時点で図星だと認めているようなものか。笑)
かぎりなく濃霧ひろがる平坦な広野をただたださまようような、いえ、さまようこともできず立ち尽くすような...そんなえもいわれぬ状態を、スランプという一言でまとめないで、と。そんな自己中心的な思いがふつふつと湧き上がる。
過ぎてみればいっときのことだったと思えるけれど、渦中にいるときは、死ぬことすら許されない無の世界で永遠とたちつくすほかないような思いだから。
具体的にどういう状態かというと、
・なにも感じなくなる
・絵を描くことが「表現」ではなく「描く作業」になる
・置く色 置く色 気持ちが悪くて仕方がない
こういった感覚が身体中を侵食しはじめ、行き着く感覚は、
−−「私の感性が死んだ」
これまで自分が絵を描いていたことすら幻のように感じる。
絵を描かなくなった自分は、ただの肉の塊でしかないとさえ感じる。
そうなると、消滅するしかない感覚に陥る。
しかも私の場合、これが割と頻繁にやってくるから....
つくづく疲れる生き方をしているなと苦笑。
でも、幸福に満ち溢れた生き方に転じたら、心に何の波もなくなり、それはそれで絵は描けないだろうなと想像して、さらに苦笑。
とにかく、そんな霧の中に迷い込んでしまった時、その対処法ってなんだろう?
若かりし頃は、いろいろと試し、もがき苦しんだ。
死に物狂いでデッサンする、美術館に足を運ぶ、山にこもる、動物園にこもる、ショッピングに行く、友人に会う、あるいは、何もしない。
忘れた頃アトリエに行って見て描いてみる....復活の兆しもなくやっぱり描けない。
その濃霧の世界は、過ぎ去るまでに1週間の時もあれば、半年かかる時もある。
結局何が功を奏したのかと振り返れば、
「いろいろやってたら、絵を描きたくなってきた」
が正解だったようだ。
今は何となく自分のそんなサイクルがわかり、
描けずに思考や精神がめちゃくちゃになる時期が訪れると、そんな自分をもう一人の自分が冷静にながめて嵐が過ぎるのを待つかたちで落ち着いている。
絵描きとしての生きるすべのひとつといえるのだろうか。
いわゆる「スランプ」の乗り越え方は、本当にひとそれぞれだとは思うけれど、
描けなくなっても、そのうち描きたくなるよ。
が今のところ私の答え。
そもそも「上手く描くこと=描ける」ということではないから。
描けても描けなくてもとにかく、「描きたい」と思えれば、復活。