キュビズムってかっこいいなと思う。
それっぽく描いてみよう!と思って描いてみる。
できないんだ。
自分なりにこれまで描いていた部分を省略してみたり、
見たものを抽象化してみたり、
キュビズムの巨匠の要素を模してみたり。
これでもかこれでもかと描いても一向にできない。
うまくいかない。
ただ、これでもかこれでもかと描いて分かったことがある。
それは、抽象化したり省略したりしている画家たちは、
そう描きたいわけではない。
追求の果てにそうする必要性にせまられたから、ということ。
そう考えると、自分はまだ具象もろくに描けない、
省略したり抽象化する必要にせまられる地点に達していないんだ。
もちろん永遠にその表現を必要としないまま具象を描きつづけるのかもしれない。
数年後には描きたいものにフォーカスして無駄を排除した抽象表現が加わっているかもしれない。
どうなるのか、分かり得ない。
ひとつ分かっていることは、
とにかく描いて描いて、描かないことにはそれは見えない。
表現しようとすることは、精神と脳とをフル稼働しなければならず、
身が滅びるのではないかと感じることもある。
でも、続けなければ見えてこないものは、
本当にたくさんある。