「愛する」とはどういうことをさしますか?
問うと、その答えは人それぞれ、千差万別です。
母の答えはこうでした。
「私が思うに『許せるか』ではないでしょうか…
寄り添うとか全てを受け入れるとか、
その時その時で色々愛し方があるでしょうけど、
最後はいかに許せるかのような気がします。
もしも傷ついた“相手”がいるなら、その人にとって
理解者がそばにプラスされるだけでとても強い力になると思う。
そのとき“あなた”は“相手”を解ろうとしないで(解るはずもない)
信じることが大切なのではないでしょうか。
“相手”を信じるとともに“あなた”自身をも信じること。」
同僚の答えはこうでした。
「“好き”よりも深く、一生をともにしたいと思える想い」
「生きる原動力となる存在である」
私はこう思います。
「愛する」には2種類あり、親子の愛と他人との愛。
親子の愛は、見返りをもとめないいわゆる“無償の愛”
他人との愛は、リターンが存在する“愛”
他人とは血がつながっていないからこそ、心で深くつながることを求めます。
そして意識するかしないかは別として、
そこには良い意味でのリターンが発生している。
支え合う、許し合う、分かち合う、信じ合う、愛し合う
決して一方通行ではなりたたない心の充実。
一見一方通行であっても、どこかできっとリターンを得ている。はず?
かたちのないものを、たとえ主観であってもこんな風に断定的に
言い切ってしまうとその反論を浴びそうですが…
今の私はそう考えます。
でもきっとこんな価値観・考えでさえ、
時間とともに積み重なる記憶の層が、変化させると思うのです。
5年後、10年後、死を前にするとき…
そのとき自分はこの問いに対してどんな解答を口にするのだろう。