月刊ARTcollectors(アートコレクターズ)の3月号(2016年2月25日発売)の巻頭特集「女が描く〝おんな〟の絵」コーナーに掲載いただきました。
↓↓ 以下、掲載記事文面 ↓↓
巻頭特集「女が描く〝おんな〟の絵」9人の個性派女流作家
古河原 泉
「内面に渦巻く感情やエネルギーを掬すくいとる」
近頃、色彩の美しさがとくに際立っている古河原泉の女性像。
暖色系から寒色系まで、どんな色彩でも使いこなすことで、時に甘美に、時に瞑想的に、またある時は情熱的に……と、豊かな表情をみせてくれる。
「色彩を新鮮で生きたままの状態で使いたいという表現欲があります。そのため、混色したりぼかしてやわらかいグラデーションを作るのではなく、置いた色をそのまま隣の色と共存・調和させようとする表現に至るのです。自分の感覚的に、ただ心地よいと感じる線を描き、心地よいと感じる色をしかるべき場所に置いていきたいのです」
古河原の手にかかると、人肌がいかなる色に彩られても違和感がない。
古河原にとって作品は、あらかじめ計算された作業の結果ではなく、瞬間の発見や心の機微を定着させる行為である。
作品は、〝生きている〟過程を生き生きと映し出すスクリーンなのだ。
女性像は初期から一貫するモチーフだが、それに対する視点も感じ方も、年齢や環境とともに必然的に変化してきている。
「沸々と湧き出るありのままの内面をストレートに主張する時期、人との関わりの中で、許し合ったり認め合うことを静かに受け入れる時期──。人はさまざまな時期を経る中で、変わらない部分は『芯』です。どんな人でも芯(あるいは核)がある。
それを強く自覚している人もいれば、環境に飲み込まれて見失いそうになっている人もいる。だけど、どんな人の中にも必ずそれは存在すると、私は感じているし、そうでありたいと思うのです」
彼女の大学時代の卒業制作「つちくれ」は、画面の中心に屹立する裸婦像を、ざらついた質感の絵肌とモノクロームの色調で描いた、情熱のこもった作品で、彼女にとって記念碑と言うべきものだ。ドイツのアウシュヴィッツ収容所での体験記『夜と霧』に衝撃を受け、「人間の存在とは?」という問いかけを、キャンバスに思い切りぶつけたというもの。それは彼女の、画家として生きていくことの意思表明とも言える作品だった。
そこから現在までに、色彩の数は格段に増え、絵肌も洗練され、デッサン力も磨かれた。しかし画面の奥底にある、人間に対する探求心、そこに迫ろうとする欲望の深さは変わっていない。
「女性に限定して描くつもりはありません。人の体に滲む内面を表現しようと思うと、自分自身が女性であるから、表現・投影する媒体が女性になる。しかし今後は、女性に限らずに人物やそれ以外のモチーフにも、興味の域が広がり変化していくものと感じています」
そのきっかけの一つとして、現在、バレエ・ダンサーを描いている。
5月にはその新作発表となるグループ展も開催される。
今後の展開を期待したい。 (編集部)
明日、
名古屋にて直視させていただきます。
楽しみにしています。
突然のメール、
失礼いたしました。
長野県 飯田市議会
全国若手市議会議員の会
顧問 新井信一郎
新井さま、はじめまして。
名古屋へわざわざ足をお運びいただけるとのこと、大変ありがとうございます。
今回はわたくし会場におりませんため直接ご挨拶できず残念ですが、どうぞご高覧ください。
心よりありがとうございます。